垂裕神社(秋月城下町)|神社

垂裕神社

所在地:福岡県朝倉市秋月野鳥666
撮影日:2014年04月06日、2014年08月16日
掲載写真:31枚(次ページとの合計52枚)
主祭神:垂裕明神(黒田長興公)


垂裕神社(すいようじんじゃ)は福岡県朝倉市秋月(あきづき)の秋月城跡近くにあります。付近は秋月城下町として整備されており、観光地として有名です。
垂裕神社の主祭神は「垂裕明神」つまり秋月藩藩祖黒田長興(くろだながおき)です。
黒田長興は黒田官兵衛の息子である初代福岡藩主黒田長政の三男で、福岡藩より5万石を分知され14歳の時に立藩しています。
垂裕神社については、とりあえずWikipediaから引用してみます。
御由緒の詳細は次ページで紹介している「垂裕神社由来記」を読んでください。

 

【垂裕神社】(Wikipediaより引用)

安政6年(1859年)、秋月藩第10代藩主黒田長元が初代藩主長興の200周忌を迎えるにあたり、その功績を記念するため秋月八幡宮宮司宮永保親に命じて京都の吉田家に神号授与を申請。吉田家より『垂裕明神』の神号を与えられ、神霊を八幡宮相殿に祀ったのが始まりである。元治元年(1864年)八幡宮から秋月城内の仮御殿に移し祀る。その後、明治5年(1872年)から3年がかりで現在地に社殿を建設【※注】。明治13年(1880年)に秋月城大手門(通称:黒門)を境内に移築。なお、社殿の建設工事及び境内の整備は旧秋月藩士達が中心となって実施したため、参道の石段は「士族坂(さむらいざか)」とも呼ばれる。昭和22年(1947年)、歴代藩主及びその夫人・公子、島原の乱~太平洋戦争の戦死者を合祀。

【注】現地の「垂裕神社由来記」「垂裕神社説明碑」によると社殿建設は明治6年(1873年)となっており、Wikipediaの記述と差異がみられます。以降は由来記・説明碑の記述に従い明治6年建設開始と考えたいと思います。

 

本当は垂裕神社のページとして1ページに収めたかったのですが、秋月城下町の紹介も兼ねてしまった結果、とても1ページ内に収まりそうにありません。ですので垂裕神社に関しては、「垂裕神社(秋月城下町)」と「垂裕神社・湊川社」の2つのページで写真を紹介しようと思います。

 


このページでは駐車場から「杉の馬場」を通り「瓦坂」「梅園公園」「黒門」、そして「垂裕神社」へ向かうという順番で画像を掲載します。垂裕神社拝殿や脇社の湊川社は次ページで紹介します。

 

 

【次ページまで合わせて計52枚掲載のうち31枚掲載】
記:2015年05月24日
編集:2018年04月01日

 

 

 

垂裕神社と湊川社の位置関係

垂裕神社・湊川社は秋月城跡近くにあり、付近は秋月城下町として観光地になっています。

このページでは神社の画像だけではなく秋月城下町の画像(杉の馬場、瓦坂、梅園公園、黒門、垂裕神社、湊川社など)も掲載します。
これらの位置関係がわかるような地図を探していたら、福岡県朝倉市のホームページに地図が掲載されていましたので、引用させていただきます。この『秋月観光マップ「秋月城下町」』はPDFでダウンロードできるので、秋月に遊びに行く方は持っておいた方が楽しめるのではないかと思います。
画像はクリックすると拡大しますが関係部分を切り取っていますので、全体の地図が欲しい方は朝倉市のホームページからダウンロードしてください。

 

秋月城下町の地図
秋月観光マップ「秋月城下町」/福岡県朝倉市ホームページより引用

 

 

秋月観光マップには湊川社に関する記載がないので管理人が勝手に地図を作成しました。
実は垂裕神社と湊川社では鳥居が別だったんですね。今回撮影した写真をじっくり眺めていて気づきましたので、わかりやすいように描いてみたつもりです。

湊川社は垂裕神社参道の脇にありますが、この地図ではわかりやすくするために垂裕神社との間を空けて表記しています。黒門から垂裕神社へ続く参道と湊川社へ続く参道の二手に分かれている、という感じです。
あまり意味はありませんが、こちらの手描き地図もクリックすると拡大するようにしておきます。

 

垂裕神社と湊川社の位置関係を表した地図
垂裕神社付近の地図

 

 

 

秋月城下町へ(杉の馬場)

城下町の水路の写真

 

秋月城下町へ向かう道沿いには水路があって、綺麗な水が流れていました。

この画像は駐車場の近くですが、こういう水路が続いていてお花も咲いていて、歩いていると本当に気持ちがいいです。
どこかで見たことがあるキャラクターが描かれた看板?もあって、ちょっと微笑ましい道路です。

 

道路沿いにあった看板の写真

 

 

杉の馬場

杉の馬場の写真

 

「杉の馬場」についてネットで検索してみたら、「じゃらん」の「杉の馬場通り」ページに概要説明がありましたので、引用します。

【杉の馬場通り】(じゃらんHPより引用)

以前杉の大樹があったことからこの名がついた、秋月の名所中の名所。日露戦争の戦勝祝賀記念として植樹された桜がそれは見事に咲き誇り、「桜の馬場」とも呼ばれるほど。通りに面する秋月郷土館は秋月黒田家の遺品を所蔵。また土塀や石垣、格子などの街並みが、歩くだけで城下町の風情を感じさせてくれる。春は桜のトンネル、情感たっぷりの散策道。

私が掲載している画像ではさっぱりわかりませんが、春は桜、秋は紅葉がとても綺麗な通りです。

 

 

秋月美術館の写真

 

野鳥橋を渡ると右手に秋月美術館があります。

常設展は『黒田藩窯 高取焼展』です。
「桃山時代から幕末までの250年間の高取焼茶陶 古高取から遠州高取までの伝世品・発掘品を多数展示している」とのことですが、管理人が秋月に行く時はいつも時間的に閉館中なので、今度はきちんと展示品を観てみたいと思います。
ちなみに管理人は秋月美術館の向かい側にある秋月郷土館にも入ったことがありませんので、是非ともリベンジしたいですね。

 

 


杉の馬場の途中にある水車の写真

 

杉の馬場を歩いていると、石垣が見えてきます。
石垣の傍に水車があったので撮影してみました。

 

 

 

瓦坂

秋月城下町の瓦坂の写真

 

瓦坂は、土の流出を防ぐために、瓦を縦に埋め込んで作られた坂です。
坂を上ると秋月黒田藩時代の御館正門(大手門)に至ります。

 

瓦坂の写真

 

 

 

秋月城長屋門

秋月城長屋門の写真
秋月城長屋門の写真
秋月城長屋門の写真
秋月城長屋門の写真
秋月城長屋門を遠くから撮影した写真
秋月城長屋門の説明碑の写真

秋月城長屋門

この門は、秋月藩主黒田家の居城である秋月城の裏手門として使用されていたものである。老朽化に伴い昭和六二年から三年間、保存修復工事及び発掘調査を実施した。その結果、北棟のさらに北側に古い礎石が発見され、原形に近い形(北六間、南七間)での復元がなされた。秋月城内で唯一現地に残る建物であり、秋月城の面影を最もよく伝えている。


県指定有形文化財(建造物)
秋月城長屋門一棟
昭和三六年四月一八日指定
甘木市大字野鳥
甘木市教育委員会


 

 

 

梅園公園

秋月城梅園の説明碑の写真

梅園(うめぞの)

 

長屋門をぬけると、梅園または梅屋敷と呼ばれる館跡がある。これは藩主黒田氏の館跡で、秋月中学校側の表御殿と、一段高くなっている梅園側の奥御殿とに分けられていた。

この奥御殿には、発掘調査の結果、礎石や水路・井戸・厠(かわや)などが残っており、明治維新当時の絵図面とほぼ一致することが確認されている。


梅園公園の写真
秋月中学校の写真
梅園公園の写真

 

 

 

垂裕神社の鳥居01番

垂裕神社の「一の鳥居」、つまり1番目の鳥居です。
この鳥居を抜けて黒門を通り、参道を通って垂裕神社本殿へ向かうことになります。

鳥居の神額は「垂裕神社」です。

 

垂裕神社鳥居01番の写真

 

 

 

秋月城本門(黒門)

垂裕神社黒門の写真
秋月城本門(黒門)の説明碑の写真

秋月城本門(黒門)

この門は、二回移築されている。もとは秋月氏の本城である古処山城の搦手(からめて)門で、それが秋月藩の成立後(一六二三年)、秋月城の大手門として、現在の秋月中学校前の瓦坂の奥に移されたといわれる。さらに明治一三年(一八八○)、垂裕(すいよう)神社の門として現在の場所に移された。まさにこの門は、中世以来の秋月の歴史を見つめてきている。


県指定有形文化財(建造物)
秋月城本門(黒門)一棟
昭和三六年四月一八日指定
甘木市大字野鳥
甘木市教育委員会


垂裕神社黒門の写真
2014/08/16撮影
垂裕神社黒門の写真
2014/08/16撮影
黒門の写真
2014/04/06撮影

 

 

 

垂裕神社参道

垂裕神社の神門(黒門)を抜けると見えてくる参道です。石段を上っていくと、垂裕神社の2番目の鳥居が見えてきます。
この石段は旧秋月藩士達が中心となって整備したもので「士族坂(さむらいざか)」と呼ばれているそうです。木々に囲まれて上る石段は、風情があってとても気持ちが良かったです。

 

垂裕神社の参道の写真
垂裕神社参道の石段の写真
石段を下から見上げる
垂裕神社参道の石段の写真
石段の上から見下ろしてみる

垂裕神社参道の写真。石段の上には鳥居が見えている。