鏡山稲荷神社(鏡山神社)【神社】

鏡山稲荷神社写真

 

所在地:佐賀県唐津市鏡6052-20
撮影日:2014年06月15日
掲載写真:12枚
祭神:息長足比売命(=神功皇后)
   鏡山御食津大神・保食神・天神地祇


鏡山稲荷神社は佐賀県唐津市の鏡山(かがみやま)山頂にあります。参拝してみて気づいたのですが、拝殿の扁額には「鏡山稲荷神社」と書いてあったのに、鳥居の扁額には「鏡山神社」と書いてありました。どういうことなのでしょうか?
今回管理人は神社横の駐車場に車を停めて参拝したので、稲荷神社の参道(朱鳥居が続く参道)を通っていません。ネットで検索すると、参道にある鳥居や石碑には「鏡山神社」と書いてあるようで、いったいどちらの名前が正しいのか混乱してしまいます。


ちなみにここは「鏡山神社」であって「鏡神社」とは別の神社です。鏡山には神社名がよく似た「鏡神社」と「鏡山神社」があります。鏡神社は鏡山の麓にある神社です。鏡山の頂上にあるのが鏡山稲荷神社つまり鏡山神社ですからね、間違えないようにしましょう!


さて、鏡山神社は皇紀860年(西暦200年)、第14代仲哀天皇妃である神功皇后が三韓征伐の時に鏡山に登り戦勝祈願したことにより創建されたと伝えられているそうで、祭神は「息長足比売命」(神功皇后)です。のちに「鏡山御食津大神(かがみやまみけつのおおかみ)」を祀っているようですが、実は管理人は自分の目で御由緒などを見ていないので正確な情報は知りません。ネットでは「鏡山御食津大神」と同列で「保食神(うけもちのかみ)」が祭神だと書かれていました。保食神も御食津神も別の神様なのですが、実はどちらも穀物・食物の神です。そしてこの穀物・食物の神が稲荷神社の祭神なのです。


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【稲荷神社】(Wikipediaより引用)

神道の稲荷神社では『古事記』『日本書紀』などの日本神話に記載される宇迦之御魂神(うかのみたま、倉稲魂命とも書く)、豊宇気毘売命(とようけびめ)、保食神(うけもち)、大宣都比売神(おおげつひめ)、若宇迦売神(わかうかめ)、御饌津神(みけつ)などの穀物・食物の神を主祭神とする。
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鳥居や石碑には「鏡山神社」と書いてあり、拝殿の扁額には「鏡山稲荷神社」と書いてある理由ですが、元々は「鏡山神社(主祭神:神功皇后)」だったものが、のちに「鏡山御食津大神」「保食神」も祀るようになり「鏡山稲荷神社」と称されるようになった、ということなのではないでしょうか。
まあ、管理人が勝手に想像しただけですので、本当かどうかは知りませんけどね。


ちなみに鏡山神社には同じく祭神として「天神地祇(てんじんちぎ)」が祀られているようで、これはそのまま「天津神(あまつかみ)」と「国津神(くにつかみ)」ということで「すべての神々」という意味になります。「天津神」は高天原に生まれた神、「国津神」は葦原の中つ国(つまり日本の国土)の神です。ここら辺の説明(日本神話及び天津神国津神)は書き始めると際限がなくなりますのでご自分でお調べください。


ついでに稲荷神社の祭神である「御饌津神」(みけつのかみ。鏡山稲荷神社では「鏡山御食津大神」)について少し書いておきます。
狐は昔「けつ」と呼ばれていました。(狐の古名が「けつ」です。「けつね」とも呼ばれていました。)
そこから「御饌津神」(みけつのかみ)に「三狐神」と当て字をするようになり、やがて狐は稲荷神の使い、眷属(けんぞく。眷属神=神の使者)となりました。このため、稲荷神社では狛犬ではなく狐の像が設置してあるのです。(と、初めて知ったことをドヤ顔で紹介しておきますw)


計12枚掲載。

 

 

 

鏡山稲荷神社拝殿

鏡山稲荷神社境内
鏡山稲荷神社境内(2014.06.15)
鏡山稲荷神社 拝殿

鏡山稲荷神社拝殿です。なかなか立派な造りだと思いました。
扁額には「鏡山稲荷神社」と書かれています。

 

 

 

鏡山稲荷神社狛狐

鏡山稲荷神社拝殿前の狐像です。画像は1枚目が吽形、2枚目が阿形です。
阿形は口に宝珠を咥え、吽形は口に巻物を咥えています。

平成14年(2002年)12月奉納。

「阿形」「吽形」と説明しましたが、この狐像は狛犬とは全くの別物、「眷属」ですので正確には阿形吽形の違いは無いと思います。便宜上、拝殿に向かって右側を阿形、左側を吽形と管理人が呼んでいるだけです。もちろん「狛狐」という言葉も造語です。「眷属」あるいは「狐像」と呼ぶのが正しいと思います。


 

 

 

鏡山稲荷神社鳥居

鏡山稲荷神社の鳥居です。拝殿に一番近い位置にあります。
この鳥居は平成19年(2007年)11月に建立、奉納されたものです。
鳥居の扁額を見ると「鏡山神社」と書いてあります。画像ではわかりにくいかもしれませんが、鳥居の足元にも「鏡山神社」の碑があります。
なぜか鳥居の裏側の写真も撮影していたので、ついでに掲載しておきます。

 

鏡山稲荷神社 鳥居
鳥居の裏側です

 

 

鏡山稲荷神社朱鳥居

鏡山稲荷神社 朱鳥居

鏡山稲荷神社の朱鳥居です。
この朱鳥居が続く道が、いわゆる正式な参道です。
通常はこの参道を通って参拝しますが、管理人は境内横の駐車場に車を停めたため、この参道を通っていません。境内側からこのように眺めただけです。
それにしても写真がブレてますね。ヒドイ写真だ。


稲荷神社ではこのような朱色の鳥居をよく目にしますが、朱色は生命の躍動を表す色だそうです。また、朱色は古来より災厄を防ぐ色としても重視されており、鳥居の朱色もこの影響によるものだと考えられているそうです。


 

 

 

神功皇后史蹟

鏡山の西展望台に向かう途中にあった神功皇后史蹟碑です。
神功皇后は三韓征伐の際にこの山に登り戦勝祈願し、その時に用いた鏡を山頂に埋めたことから、この山を「鏡山」と呼ぶようになったそうです。それから鏡山の麓に「鏡神社」ができました。


管理人はこのページ一番上の「鏡山神社(鏡山稲荷神社)の由来」で、「神功皇后が三韓征伐の時に鏡山に登り戦勝祈願したことにより創建されたと伝えられている」と書きましたが、神功皇后のこの神話(「鏡山」「鏡神社」の由来)とかぶっていて本当のところはよくわかりません。
「鏡山の由来」と「鏡神社の由来」と「鏡山神社の由来」は、全部一緒なのでしょうか?


ネットで見かけた鏡山神社(鏡山稲荷神社)のお話では、「神功皇后が三韓征伐から凱旋してきた時、土地の者が『鏡が毎夜光を発する』と伝え、神功皇后は感銘し自ら斎主となり祈られて『この鏡を私と思って大切にしなさい』と土地の者に伝えた」というものがありました。この言い伝えが鏡山神社の由来なのかもしれません。
ところでこの鏡は今はどこに行ったんでしょうか?(素朴な疑問w)


とにかく詳しいことはよくわかりませんが、鏡山と神功皇后は切っても切れない関係があるのです!