宮地嶽神社|神社

宮地嶽神社の写真

宮地嶽神社

所在地:福岡県福津市宮司元町7-1
撮影日:2013年02月03日
掲載写真:31枚
主祭神:息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后(応神天皇の母親)
創建:約1700年前


福岡県福津市にある宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)は、神功皇后(じんぐうこうごう)を主祭神として祀った神社です。


神功皇后は第15代応神天皇(おうじんてんのう)の母親です。神功皇后は宮地嶽神社だけでなく色んな神社の祭神ですが、そもそも全国に数多ある「八幡宮」の祭神は応神天皇と神功皇后ですから、八幡宮を訪れる方は御存知の神様だと思います。
「八幡宮」とは宇佐神宮を総本社とし「八幡神」を祭神とする神社のことで、「八幡神」とは第15代応神天皇のことです。応神天皇を主神とし、応神天皇の母親である神功皇后と比売神(宗像三女神)を併せて「八幡三神」として祀っているのが八幡宮です。神社によっては神功皇后や比売神に代えて第14代仲哀天皇、武内宿祢、玉依姫命を祀っていたりもします。管理人が今までに訪れた八幡宮では応神天皇と神功皇后、比売神の三神が祀られている場合が多いですね。


神功皇后はたいへん勇ましい女性であり偉大な人物です。事績を辿るとほとんど超能力者なのですが、そのむちゃくちゃっぷりが管理人は好きです。
夫の仲哀天皇が崩御した後、まずは熊襲を征伐し、お腹に応神天皇を宿したまま三韓征伐に向かい勝利。応神天皇が生まれそうになるとお腹に石をあてて出産時期を遅らせるエピソードがありますね。
三韓征伐から凱旋した後は留守の間に起こっていた応神天皇の異母兄の反乱を平定し、その後も朝貢しない新羅を叩きまくっています。「戦いの女神」のようなイメージがあったのか、武士(清和源氏)の崇拝を受けた聖母神としても有名で、元々は第15代天皇として数えられていましたが大正年間に外されています。戦後は教科書からも外されてしまったので、今の若者たちは神功皇后のことを知らないかもしれませんがもったいないですね。『日本書紀』や『古事記』を是非読んでください。面白いですよ!


宮地嶽神社は神功皇后が三韓征伐の前にこの地に滞在し、宮地岳の頂に祭壇を設けて祈願して船出したのが始まりだそうです。ですので主祭神が神功皇后なのです。
画像は本殿(拝殿)から境内外へ向かっていく順番で掲載しています。


何も考えずに休日だからと宮地嶽神社を訪れましたが、いきなり目の前で豆まきが始まり参拝客にもみくちゃにされてしまいました。参拝したのが2月3日だったので「節分祭」当日だったのです。管理人は初めて節分祭を経験しましたが、人の多さにビックリしました。
予想外に多くの参拝客がいたので社殿の写真をうまく撮影することができませんでしたが、参拝客がいなかったとしてもスマホで撮影しているのでたぶん画像はブレブレだったと思います。


ちなみに奥の宮八社には参拝していませんので画像はありません。
本殿だと思っていた建物が実は拝殿だったことに、管理人は最近気が付きました。
鳥居の写真も掲載していますが、なぜしつこく鳥居を撮影したのか自分でも謎です。

境内の狛犬の詳細は「狛犬サイト」で確認してください。


宮地嶽神社の参道では太宰府天満宮の梅ヶ枝餅によく似た「松ヶ枝餅」が売られています。焼印が宮地嶽神社の神紋「三階松」になっていて、梅ヶ枝餅とは別物です。よもぎ味があるので、しつこいですが梅ヶ枝餅とは明らかに別物です。初めて食べましたがめちゃくちゃ美味しかったので、宮地嶽神社を訪れた際には是非どうぞ!

 


【計31枚掲載】
記:2014年11月01日
編集:2018年03月17日

 

 

 

宮地嶽神社 拝殿

宮地嶽神社拝殿の写真
宮地嶽神社拝殿の写真

 

 

 

大注連縄(大しめ縄)

宮地嶽神社公式ホームページによると、宮地嶽神社の拝殿にある大注連縄は3年に1度掛け替えられるそうです。直径2.5m・長さ13.5m・重さ5tもあり、「日本一の大注連縄」とのこと。
間近で見ると凄い迫力です。

 

宮地嶽神社拝殿の大しめ縄の写真
宮地嶽神社拝殿の大しめ縄の写真

 

 

 

節分祭(豆まき)

 

 


宮地嶽神社 楼門

宮地嶽神社の楼門の写真です。

先に本殿側から撮影した画像を掲載し、その後に参道側から撮影した画像を載せます。

 

楼門の扁額は「宮地嶽神社」です。楼門が建てられたのがいつなのか気になったのでネットで調べてみましたが、すぐには見つかりませんでした。また暇な時に調べてみますね。

宮地嶽神社の楼門はすごく立派で、圧倒されてしまいました。

節分祭当日に訪れたため楼門の真ん中には巨大な枡(ます)が置いてあり、楼門の本来の姿が管理人にはわからないという状況です。でも1年に1回しか体験できない日なわけで、とても貴重な体験をさせてもらいました。何も知らずに参拝したけど、その分テンションが上がって楽しかったです。

 

宮地嶽神社の楼門を本殿側から撮影した写真
本殿側より撮影
宮地嶽神社の楼門を本殿側から撮影した写真
本殿側より撮影
宮地嶽神社の楼門を参道側から撮影した写真
参道側より撮影
宮地嶽神社の楼門を参道側から撮影した写真
参道側より撮影
宮地嶽神社楼門の写真
参道側より撮影

 

 

 

節分枡

 

 


宮地嶽神社 狛犬(楼門前)

宮地嶽神社の楼門前の狛犬です。

画像は1枚目が吽形、2枚目が阿形です。

 

阿形も吽形も台座が高くて見上げるように撮影したので、ほとんど顔がわかりません。
というか、もはや形すらよくわかりません。お座りしてるみたいな造形ですね。

阿形は口を開けていて、吽形は口を閉じています。

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宮地嶽神社の大鈴と大太鼓

宮地嶽神社楼門と大鈴堂の写真
宮地嶽神社楼門(左側)と大鈴堂(右側)

 

 

 

宮地嶽神社 大鈴堂

宮地嶽神社の大鈴の写真

 

日本一の大鈴

立札によると高さ約3m、直径1.8m、重さ約450kgの銅製の大鈴で、昭和28年に奉納されたものだそうです。

昭和35年までは拝殿に飾られていましたが、その重量のため、現在は大鈴堂が建立されてそちらに置かれています。

宮地嶽神社を訪れると誰でも見ることができると思います。たぶん。


 

 

 

宮地嶽神社 大太鼓堂

宮地嶽神社の大太鼓の写真

 

日本一の大太鼓

直径2.2mの日本一の大太鼓です。全国にはこの太鼓よりも大きな太鼓があるらしいのですが、宮地嶽神社公式ホームページによると、宮地嶽神社の太鼓はすべて国内の材料で製作されているそうで、珍しいのでしょうね。
太鼓の銅は檜を原木とし、その表面に漆を幾重にも重ねて音の響きを大切にしているそうです。鼓面は和牛の皮を太鼓用になめしたもの(現在の国産和牛では入手できないサイズの皮)で調製されているそうで、例年1月1日午前零時に大太鼓が打ち鳴らされるとのこと。ぜひ聴いてみたいものです。

 

 

 

宮地嶽神社 狛犬

宮地嶽神社境内にあった狛犬です。

画像は1枚目が吽形、2枚目が阿形です。

ずいぶんと傷んでいるみたいです。
雨風にやられたのか、それとも古い狛犬なのか、制作年代に注視していなかったため管理人にはよくわかりません。

狛犬サイトへ

 

 

 


宮地嶽神社の鳥居01番

宮地嶽神社の境内には色んな鳥居がありましたので画像を掲載していきます。
「境内の鳥居を撮影しよう」みたいな明確な意思で撮影したわけではありませんので、たぶん鳥居の数も間違っていると思います。
本殿から境内外へ向かう順番で掲載していきます。(勝手にナンバリングしています。)

 

 

 


宮地嶽神社の鳥居02番

 

 


宮地嶽神社 狛犬

下で紹介している鳥居03番の近くにあった狛犬です。

画像は1枚目が吽形、2枚目が阿形です。

 

阿形は口を開けており、吽形は口を閉じています。

この画像では少しわかりにくいかもしれませんが、吽形の頭には角がありますよ!

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宮地嶽神社の鳥居03番

 

鳥居の柱部分に「明治六年癸酉一月良日」とありますので、この鳥居の建立は明治6年1月です。

鳥居の奥に、また鳥居があるのが見えていますね。

 

 

 

宮地嶽神社の鳥居04番

上で紹介している鳥居03番の奥にあった鳥居です。銅製でしょうか。
鳥居の隣に「元御本殿跡」という石碑がありましたので、宮地嶽神社の本殿は元々この場所にあったのでしょう。たぶん。

 

宮地嶽神社鳥居04番の写真